この本ができるまで
この本は、はじめ単著として依頼があったが、ちょっときびしいということで、竹田と西研が10年来主催する現象学研究会メンバーに相談を持ちかけた。多くのメンバーがなみなみならぬ意欲を示してくれ、ようやくここまでこぎつけた。
多数の著者による哲学史は、いろんな面で危惧がある。それを見越して、中身について何度も討議したり、意図の統一をはかる努力をおこなった。かなり苦労したが、結果的にはとてもよい本ができたと思っている。(竹田青嗣)

この本について
哲学の歴史には、リサイクルできる原理的な思考が財宝のように埋もれている。それを生かすのは読者の一人だ。この本のなかの気に入った箇所や、反発したくなった考え方について、何度でも読み直したり、自分でもなぜ気になっているのか・反発するのか、自分のなかによく尋ねてみて欲しい。また、進んで、哲学者その人の著作も読んでみてほしい。そして哲学を、一人ひとりの生きる智恵として、さらに、人間社会の新たな原理に向けて、生かしていただきたいと思う。(西研)


 菅野 仁 ……1960年、宮城県生まれ。宮城教育大学教授。専門の社会学研究の傍ら、「現象学研究会」のメンバーとして哲学的思考の研鑚を積む。


「教育幻想(2010/3)



学校は「立派な人」ではなく「社会に適応できる人」を育成する場。自由も管理も理想も現実もこと教育となると極端に考えがち。問題を「分けて」考え、「よりマシな」解決の道筋を探る。



「社会学にできること」(西研との共著)(筑摩書房2009/11/09))



社会学とはどういう学問なのか。社会を客観的にとらえるだけのものなのか。古典社会学から現代の理論までを論じながら、自分と社会をつなげるための知的見取り図を提示する

 『友だち幻想』(ちくまプリマーブックス)(2008/3)




「ジンメル・つながりの哲学」 2003年 NHK出版



著者より
……ごくふつうの当たり前の感受性をもってまじめに生きようとする現代人であればだれもが直面する問題、「自分が幸せになりたい」「少しでも自分らしく生きたい」という個人の願いは、どのように「社会」や「他者」と関わっているのか?あるいはそうした個人の願いは、どのように「社会」や「他者」とつながるものとして理解したらよいのか?――こうした問題をめぐって、これから私は、約100年前のドイツに生きたジンメルという社会学草創期の思想家が残した理論の内容を読み解きほぐすことを通じて、一つの新しい考え方のスタイルを提示したいと思う。(菅野 仁 「はじめに」より) 



「愛の本―他者との〈つながり〉を持て余すあなたへ 2004年 PHP研究所



著者より
……人との距離のとり方や相手の気持ちをちゃんとわかって振る舞うことの難しさ。人との関係に疲れ、すぐに傷ついてしまう自我。こうしたことが常にぼくの関心の中心だった。
……人のつながりなんて言われるとちょっと疲れる、社会について考えようなんていわれてもいまひとつピンとこない、そういう君に向かってぼくはこの本を書いているつもりだ。……「他者」とか、「社会」とか、そうした自分の「外側」にあるように思える事柄が、実はぼくたちの心の内側にとても深くつながりを持っている。「外側」にゴロっとあるモノのように理解していると見えてこない、周りの世界と自分自身との「つながり」の可能性について、これからいっしょに考えてみよう。きっと君が、「自分らしさとは何だろう」とか「自分にとって幸せって何だろう」といったことを見つめ直すよいきっかけになるとぼくは思うんだ。。(菅野 仁 「プロローグ」より)



 金 泰明……1952年大阪市生まれ。明治学院大学大学院で近代哲学と現象学を学ぶ。国際学博士。英国エセックス大学大学院人権理論実践コースで哲学・倫理学・政治学を学び、M.A.を取得。現在、大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター教授。

『欲望としての他者救済』(NHKブックス 2008 9/25 発売)


(序章より)
 はじめに断っておく。これは、他者救済の勧めではない。
そうかといって、〈そんなの関係ねぇ〉と思っているわけでもない。
 困っている人を見かけたら、つい手助けしたくなる自分がいる。人に頼まれたからでもなく、いやいやするのでもなく、気がついたら自分からそうしている。いつも自分のことにかかりきりなのに、なぜ、見知らぬ他人を助けてしまうのか。よく考えると、とても不思議なのだ。
 なぜ、人は困っている他人を見たら手を差しのべてしまうのか。
 これは、そんな、他者救済の不思議を考える本だ。

人は、自分がもつ〈思・想〉の力を道具として、他者救済の経験からもろもろの意味を取り出すことができるのだ。〈思〉いは、自分を大切にすることであり、〈想〉いは、他者を理解しようとする心の働きのことである。言いかえると、自分自身の力で〈他者救済を思想する〉のだ。ちょっと、キザっぽく聞こえるかも知れないが、〈他者救済を思想する〉とは、他者救済の経験から、人(自分)と人(他者)とがともに生きていくための条件と可能性を探り出す思想的な営みなのである。


「共生社会のための二つの人権論」 2006 年 トランスビュー



著者より

現代社会の直面しているさまざまな困難を克服するために肝要なことは、現実の対立や衝突を、西洋的価値観(人権)対非西洋的価値観(非人権)という人権の普遍性を否定するフレームワークではなく、普遍的な人権概念における原理上の対立としてとらえることです。……
人権概念はそれ自身の内側に、〈価値的人権原理〉と〈ルール的人権原理〉という、相異なる二つの原理を抱え込みながらも、ひとつの普遍的概念として成立しています。ここで注意を要するのは、異なる原理を内包する限り、人権の普遍性に対するアプローチの仕方や態度の違いは、必然的に許容されるべきということです。なぜならば、人権の原理上の違いは、往々にして表現の仕方や態度の違いとして現れるからです。問われなければならないことは、立場や考えや意見の違う者同士が、対話をとおして、相互の了解関係を創り出せる可能性があるかどうかです。この点に関して、人権概念は、価値観の違いを許容する原理と、対等の資格で対話や議論による相互の了解関係を成立させうる原理とを、ともに併せ持っているのです。本書を読み進むうちに、そのことが次第に明らかになり、理解されることと思います。(金泰明 本文より)

マイノリティーの権利と普遍的人権概念の研究」 2004年 トランスビュー 

著者より
……私のひそかな目論見は、人権を「死んだ思想」ではなく、「生きている思想」として取り戻すことにある。もし、権利や平等という諸々の概念が、「自分自身の生の欲望」とは無関係に定立されているものであるならば、それは人びとにとってよそよそしいものとなるしかない。それは「死んだ思想である」。……
「生きた思想」として人権や差別を考えるとは、とりもなおさず自分の中に判断の根拠を持つことである。自分の行為や意味を、自分の内側の感性や理性を拠りどころにして取り出すことである。言い換えば、人権や差別の問題に向き合うとき、「他者を敬うこと」からではなく、「自分を大切にすること」から始めるべきなのだ。つまり、自己中心性からの出発である。それは、哲学的思考にも相通じる道である。およそ哲学は、自己を中心に世界や生の意味を問う営みであるからだ。(金 泰明  「あとがき」より)


書評
  竹田青嗣
   
西 研

「マイノリティの権利と普遍的人権概念の研究」を読み高校時代の友人を思う
 (ブログ「Amehare MEMO」より)


神山 睦美 ……1947年、岩手県生まれ。文芸評論家。同時に東進ハイスクール、河合塾文理など予備校で論文指導にあたる。著書に『夏目漱石論―序説』『クリティカル・メモリ』『実践国語文章講座』(砂子屋書房)『吉本隆明論考』『家族という経験』(思潮社)など。


「小林秀雄の昭和」(鮎川信夫賞受賞 思潮社)



……小林が本居宣長から読み取ったのは、「物のあはれ」というのは「心にかなはぬ筋」と切り離すことのできないものであるということだった。
……「すべて心にかなはぬ筋」に出会うとき、人は何にも増して心細く、暗くて狭いところへと追いやられているように思えることがある。だが、本当はそうではない。むしろ、そのような心のありようこそ、誰にも同じように経験されるものであって、そこを通ってはじめて、人は人と通じることができるのである。

「二十一世紀の戦争」(思潮社 2009年8月15日刊行)



文学は戦争という現実を回避することはできない。
いかにして人間の救いがたいニヒリズムを瓦解させるか。
9.11以後の、詩と小説の最もアクチャルな光景を照射する、文芸評論の精髄。



『読む力・考える力のレッスン』(東京書籍)(2008/3)




「夏目漱石は思想家である」  2006年 思潮社





「思考を鍛える論文入門」 2004年 筑摩書房



著者より
……人の幸、不幸は計りがたいとは、年齢とはかかわりのないことがよくわかります。思考を鍛えるのに、老若男女の別はありません。自分にあたえられたもの、自分が身につけたものをわずかなりとも掘り下げる、そこに勝負がかかっています。
……この世の仕組みや、人生の捉え難さ、思いの届かなさといったことに思案したことがある人たち。そういう人たちに、もう一度、世界と自分について振り返ってみるきっかけになってくれればと思って、これを書きました。
……受験生、大学生、これから思考を鍛えたい一般社会人、こぞって参加されることを願ってやみません。この世界に生きている自分というものが、きっといとおしくてならないものに見えてくることでしょう。(神山睦美 「はしがき」「あとがき」より)

関連サイト
 ジュンク堂書店のホームページへ


山竹 伸二 ……1965年、広島県生まれ。学術系出版社の編集者を経て、現在、心理学・哲学の分野で著述家として活動中。専門は現象学、実存論、精神分析など。ここ数年は、現代社会における心の病と、心理療法・カウンセリングの共通原理について、現象学的な視点から捉え直す作業を続けている。


『フロイト思想を読む』竹田青嗣との共著 (NHKブックス)(2008/3)





「本当の自分」の現象学


著者より
……重要なのは、実存的苦悩や心の病における個別的要因や特殊な状況にまどわされることなく、その本質へ目を向けることにある。そうすれば、私たちは自分自身の実存的苦悩の意味を了解するだけでなく、身のまわりにいるさまざまな人たちの苦しみの意味を了解することができる。そして、各々の人間関係においてお互いの苦悩を理解しあい、自己了解を促しあう関係性を築くこともできる。このような可能性を広げる上で本書が少しでも役に立つとしたら、著者としてこれほど嬉しいことはない。(山竹伸二 あとがきより)

関連サイト

 山竹伸二の心理学サイト



石川 輝吉 ……1971年、静岡県生まれ。英国エジンバラ大学哲学部修士課程修了。明治学院大学国際学研究科博士後期課程修了。現在、桜美林大学非常勤講師、和光大学オープンカレッジ「ぱいでいあ」講師

「ニーチェはこう考えた」(2010/11/10)



 ニーチェの哲学にはひとりのボロボロになった人間がなんとか生きようとする物語がある。わたしたちはそれにはげまされる。これはニーチェ的な意味で「美」だ。
 ほんとうのところ、「力への意思」を、前向きの原理と受け取って、それにうながされてよろこびを得よう、とがんばっても、過去の経験をふり返って現実に向き合う原理と受け取っても、やはり、生というものは苦悩かもしれない。わたしたちの大きくなろうとする試みは、かならず苦しみや矛盾を生みだすからだ。そしてすぐにまた、わたしたちはルサンチマンやニヒリズムに陥り、小さくなる。
 けれどもそんなとき、美や芸術や文化、そして哲学がわたしたちが生きることをはげましてくれるものとしてあるはず。
 ニーチェが身をもって示したのはそういう可能性だ。
 熱くてグサリとくる言葉の哲学者としてであろうと、アンチのヒーローとしてであろうと、「ニーチェ」に魅かれるとき、わたしたちは生きることをはげましてくれるなにものかをニーチェに直観している。
 ニーチェはまちがいなくそういう力をもった哲学者だ。
(「あとがき」より)


『カント 信じるための哲学』(NHKブックス 2009 6/30発売)



 <ひとそれぞれ>の時代は今後も長く続くだろう。だから、カントのアンチノミーと主観の哲学という方法は、ほとんど永遠といってもいいくらいの価値がある。
 だれも絶対的な真理の立場に立つことはできないこと。<ひとそれぞれ>の主観のままで、「わたし」から「世界」を考えること。つまり、自分のなかからどれだけ多くのひとの納得を生むような言葉をつくりだせるか、そういう<普遍性>をめざす努力をすること。そして、この努力を他者と共に交換し、より多くの人の納得を生むような言葉に鍛えること。このような方法でのみ、「善悪や美の感覚をわたしは自分ひとりだけでもっているのではない」という確信が深められる。
 わたしたちはいつまでも<ひとそれぞれ>の主観でしかありえない。にもかかわらず、この世界に善や美があることを確信できることは、この世界をよいものだと信じられることに必ず通じているはずだ。
(筆者 「あとがき」より)



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