完全解読『言語的思考へ』(磯部和子)
『言語的思考へ』(竹田青嗣 2001径書房)のレジュメです


web雑誌「本質学研究」創刊です(2015/7/14)

竹田青嗣「欲望論」インタビュー(2016/5/15)
@実存論第1部「存在と認識の方法をめぐって」

A実存論・第2部「欲望と身体」第3部「幻想的身体」への構想


現象学研究会ホームページ開設記念対談

 竹田青嗣×西研
現象学研究会ができるまで

「現象学の刷新」をめざして 

現象学対談
「本質観取」とは何か(2006・10/22)
竹田青嗣×西研


関西現象学研究会活動報告  (西研 2006・1/3)

(2017年 2月11日更新)
竹田青嗣西研の主催する「現象学研究会」の活動を伝えるページです。研究会の報告とともに、メンバーの著作や活動を紹介していきます。少しずつ充実させていきますので、よろしくお願いします。




現象学研究会の本、続々刊行です



「心理療法という謎
<山竹伸二 2016.7 河出ブックス>



心の病もそれが治ることの意味も、「人間の存在本質」が関わっている以上、理解しがたい特殊なものではなく、誰もが日常的なあり方との共通性から理解できるものでなければならない。それでこそ、多くの人が問題の本質を共有し、お互いの苦悩を支え合える関係を築くことができる。それは、専門家ではない人間であっても、身近な人の不安や苦しみを理解し、不適切な対応を避けるためには、どうしても必要なことなのである。(山竹伸二・本書より)



「現象学の絵本」〈吉田章宏  2015 文芸社〉


 現象学がもっと広く深く社会に浸透して行って欲しい、と思います。人々の幸せのためにです。で、子どもたちにも「現象学」に親しんで欲しい、と思うようになりました。私自身、若い時は現象学の存在すら知らず、知ってからも避けていました。進んで現象学に近づいたのは40歳を過ぎてからのことでした。或る時、心理学研究者の友が、「現象学は難しいからなあ」と漏らしてくれました。その言葉を契機として、子どもたちのために、楽しく易しく優しい『現象学の絵本』を書くことを思い立ちました。2012年夏、モントリオールのIHSRCで、提案〈*〉しました。好評でした。そこで、「隗より始めよ」と、易行道を歩むことを試たのがこの絵本です。現象学を専門とする方がたが、子どもたちと「子ども心を失っていない大人たち」のために、『現象学の絵本』を書いてくださるように、と祈ります。困難な激動の時代が予感される明日の世界に向けて、人々の幸せのために、『現象学の絵本』が次々と世に現れますように。これは、祖父母や両親が、幼い子どもたちに読み聞かせる情景を夢見た絵本でもあります。優しい眼をして現れる象としての「現象学の絵本」です。〈* http://yoshidaakihiro.jimdo.com/ 所収〉 (吉田章宏)



高校生のための 哲学・思想入門」〈竹田青嗣・西研 +現象学研究会 2014.11 筑摩書房〉



……哲学で最も中心の問いは、人間や世界の「ほんとう」をどう考えるか、という問いだ。優れた哲学者は必ずこの問いに迫って、優れた考え方を作り出している。彼らの説をしっかり問いつめると、じつにシンプルな核心をもっていることが理解されてくる。このシンプルな考え方にじっと立ち止まって、それでもなお、なるほどこれはじつに深く考えられている、と思えるような考え方こそ重要であり、そこに哲学の思考のエッセンスがある。(竹田青嗣 本書所収「哲学への招待」より)

……哲学や思想家の文章には、いろんな難しい概念(言葉)が出てくることが多く、そこで挫折してしまうこともよくある。ではどうやってアプローチするか。――あたりまえのことだが、筆者も一人の人間である。あなた方と同じように、自分の生き方や社会のあり方について、何か困ったり不思議に思ったりしていたはずだ。このような素朴な悩みや疑問のことを「問題意識」と呼ぶなら、何かの問題意識に促されて、筆者は考え″なくてはならなかった。つまり、何かの「問い」を提起して、その問いに自分なりの「答え」を出そうと試みた。その過程を文章にしたものが、哲学書・思想家なのだ。(西研 本書所収「哲学・思想書を読んでみよう」より)

「子育ての哲学  主体的に生きる力を育む」〈山竹伸二 2014.8.10 ちくま新書〉



……まず、子ども自身が自らの意志を持ち、それを表明できるように育てることが前提になると思います。
子どもの幸せを願うなら、自由に生きるための条件を整え、その可能性を拡げてあげることが必要になります。
子どもの未来というキャンパスに、いったいどのような絵が描かれるのか、私たち親は、期待しながら見守っていきたいと思うのです。(終章 「よい子育てってなんだろう?」 より)


「『自由』はいかに可能か」〈苫野一徳 2014.6.20 NHKブックス〉



……自由の本質、それは、「諸規定性における選択・決定可能性」への感度である……
今日、どれだけその価値が疑念にさらされようとも、「自由」はわたしたち人間にとって最上の価値である。その「自由」を、わたしたちはいったいどうすれば獲得できるか? その実存的および社会的な根本条件についてもまた、わたしは本書で明らかにできたと考えている。
現代社会が抱える諸問題を、わたしたちはどうすれば克服し、「自由の相互承認」の社会・世界を構想することができるだろうか?そしてそのことで、わたしたちの「自由」を十全に実質化していくことができるだろうか?多くの、そして多様な人びとの英知を結集し、わたしたちはこの問いに、”答え”を出し続けていく必要がある。
諸学問の協同が求められている。哲学もまた、とりわけ「自由の相互承認」の原理を示し続けることによって、その協同に大いに寄与する必要がある。
その一つの土台に、もし本書がなりうるとするならば。そう願って本書を書いた。(あとがきより)

 .7.12 本書刊行記念 苫野一徳×竹田青嗣対談が池袋リブロにて開催されます。




「人権は二つの顔をもつ」〈金泰明 2014.4.5 トランスビュー



本書は、月刊誌『ヒューマン・ライツ』(部落解放・人権研究所編集発行)に連載したエッセイ「人権を哲学する」を大幅に手直しして書き下ろしたものだ。……
「人権を哲学する」とは、人権を建前ではなく、自分の生活と人生を豊にする〈技法〉として使いこなすことである。それは、道徳から哲学へと、人権の視点を変更することであり、人権を「死んだ思想」から「生きた思想」として取り戻すことである。……
また、「人権を哲学する」とは、なぜ人権が普遍的といえるのか、その根拠や原理を探ることである。「普遍的」とは、いつでも、どこでも、誰でも「その通りだ」と同じように了解できることをいう。……
冷戦後の国際社会が格闘する価値対立という課題と、国際化時代の日本社会が直面する文化的多様性の受容と共生社会の実現という課題に向き合い、それらの解決策を探るために、現代世界が共有するほとんど唯一の「武器」こそ、普遍的な人権である。
普遍的人権概念を、誰もが仕えこなせる〈技法〉として鍛え直したい。そういう思いが、「人権を哲学する」には込められている。一人でも多くの読者に、私のこの気持ちが通じ、人権の思想が今の社会に根付くのに、本書が役立ってくれれば、それ以上望むことはない。
(本書 「あとがき」より)


「教育の力」〈苫野一徳 2014.3.20 講談社〉



教育はとかくさまざまな対立が渦巻く世界です。いつの時代にもさまざまな「党派」が現れ、〈われわれ〉こそが正しく〈あいつら〉は間違っているのだと、悲しく不毛な対立を繰り広げています。……本書では、そうした教育をめぐるさまざまな不毛な対立を克服し、教育を建設的に考え合い構想し合うための道筋もまた明示しました。つまり、教育の「本質」を明らかにした上で、その本質を達成するための方法を、状況に応じて協同させ合う道筋を。……
(本書 「あとがき」より)


『哲学書で読む最強の哲学入門』<2013.9 学研>
(竹田青嗣監修  石川輝吉/金泰明/小井沼広嗣/小林孝史/齋藤隆一/苫野一徳/野口勝三/山竹伸二)




※哲学史上のビッグネーム50人に照射。その主著を通して、それぞれの思想の真髄に迫ります。

『哲学がわかる本』<2013.2学研>


※上掲書の「コンパクト版」。各哲学者の思想の要諦を端的にまとめています。



苫野一得『勉強するのは何のため?』<2013.7日本評論社>



……この問いは、「正解」というより「納得解」を求めるような問題なのです。絶対的に正しい答えというより、「なぁるほど、たしかにこう考えればすっきりするな」という納得″を求めるような問題なのです。
……哲学は、実生活に役立たないことを考えるものではありません。むしろ哲学こそが、「正解」のないさまざまな問いに、「納得解」を与えてきたものなのです。 (本書「はじめに」より)




行岡哲男『医療とは何か』<2012.8 河出書房>



……医療の不確実性とはそもそもどういうことかを、とことん考えるのを邪魔してきたものも「正しい判断」という発想です。そろそろ、この問題を根本的に解きほぐし、その先にあるこれからの医療を考える時期にあると思います。
……本書では、医療現場における「正しい判断」の不可能性を論証します。そして哲学、とりわけ現象学の助けをかりて、「正しいと確信する判断」という発想を医療現場に導入することを試みます。そこから示されるこれからの医療を、「言語ゲーム」という言葉を使って素描するという大筋で進みたいと思います。(本書「はじめに」より)



苫野一徳『どのような教育が「よい」教育か』



教育とは何か、そしてそれは、どのようにあれば「よい」といいうるか。
本書で私は、この問いにできるだけ広範かつ深い共通了解を得られるような、「答え」を提示したいと思う
実は現代教育学の世界では、この問いに絶対的な答えを見出すことは不可能である、ということが、半ば常識となっている。学問の世界だけでなく、今日おそらく多くの人たちが、絶対に正しいことなんてあり得ない、と考えていることだろう。そしてそれは、確かにその通りだというほかない。万人にとって絶対に「よい」「正しい」教育を、私たちは完全に決定してしまうことなどできない。(略)
しかし、子どもたちの教育にかかわるすべての人たちにとって、そして教育を考え構想するすべての人たちにとって、そもそも教育とは何か、そしてそれはどうあれば「よい」といいうるか、という問いは、常に切実な問いとして突きつけられているものである。そうである以上、私たちは何らかの方法でこの問いを考え、そして何らかの形でこれに「答え」を出す必要がある。
本書の目的は、この「答え」を明示することである。
苫野一徳「序章」より)



神山睦美『大審問官の政治学』



人間というのは、自分を表現したいという欲望からのがれることのできない存在だ。それを、特別な何かを目指し、よりよく生きようとする欲求といってみる。そういう存在であることを承認してもらいたいという欲望が、私たちを動かしているといってもいい。しかし、私には、いまこんな考えのほうがより強く心を占めている。
私たちが、特別な何かを目指してよりよく生きようとするのは、すべてが私たちのまわりを通り過ぎていって、最後は跡形なくなくなってしまうということを知っているからではないか。だからこそ、いまあるこの私が、何かを目指している者であることを確かめたいという思いがわいてくるのだ。そのとき、私のこの思いは私一人ではなく、私を超えたものによっても承認されることを願っているといえるのではないか。
(本書「はじめに」より)


神山睦美『漱石の俳句・漢詩』



文豪として近代文学史上に名をなした漱石は、その内面に寂しさのかたまりといったものを終生抱え続けていた人間であった。彼は、その根源的な寂しさを、子規から学んだ俳句や伝統的な漢詩の中にうたい続けた。……本書はそうした漱石の私的感性のありように向かい合うことによって、彼が書いた小説作品との間の通路を初めて開設、漱石研究に新たな一石を投ずる。(本書より)

西研「ツァラトゥストラ ニーチェ」(NHK出版)




山竹伸二「『認められたい』」の正体〜承認不安の時代
」(2011/3/20)



無縁社会とも言われるように、現代では家族や会社、地域のきずなが希薄になり、ただ存在するだけで受け容れてくれるような、承認(親和的承認)の得られる居場所が目に見えて減少しつつある。その一方で、価値観の相対化にともなって、承認(集団的承認)を得るための行動に確信が持てず、空虚な承認のやりとりのみが横行する。これでは、コミュニケーション能力の高い人間だけが承認され、ますます社会に承認不安が広まるばかりである。
だがもし、私たちが誰かを助けるための行為に価値を認め(=一般的承認の想定)、それを遂行することができれば、そうした行為の連鎖は孤立した人々の心に火を灯し、「自分は見捨てられていない」という親和的承認の実感を与えることになるだろう。また人助けをした人々も、単に自己承認できるだけでなく、相手の感謝や周囲の賞賛によって、実際に承認が得られる可能性は高いはずだ。こうして、社会なかで少しずつ相互に承認し合えるきずなが深まっていくなら、現在のような承認不安も払拭されていくのではないだろうか。
そんなに簡単にはいかない、と思うかもしれない。しかし、原理的には十分に可能性があるのだから、私たちはその希望を失うべきではない。
(山竹伸二:本書「おわりに」より)

現象学研究会メンバーの著作 
竹田青嗣×西研による朝日カルチャー講座の様子が紹介されています。

現象学研究会ホームページ