![]() ![]() 哲学的な観点で言えば、もし人口の増大と経済競争の格差を持続的に制御でき、その上で、技術とエネルギー革命の進展をもつことができれば、そのたびごとに、人間社会は生活的な余裕と質を向上させ、各人が生の目的を自由に追求できる可能性の一般条件を高めていくはずである。近代哲学者が、市民社会をはじめに構想したとき、彼らの脳裏にあったのは、まさしくそのような人間社会の可能性だった。 ……われわれはひとつの決定的な二者択一の前にあるように思う。つまり、可能性をもたない批判思想に固執して目標(新しい物語)をつくり出せず、その結果、暴力原理がますます高まって全世界が「普遍支配構造」に逆戻りするのを黙視するか、逆に、「近代社会」の本義に根ざして国家と資本主義を市民的に制御し、近代社会以来はじめて、人間の自由の本質的な展開を推し進めるような道を歩くか、という二者択一にほかならない。 (「まえがき」より) 「中学生からの哲学『超入門』」(ちくまプリマー新書) ![]() ……私の中には、いちど世界がとことん壊れるという経験がないと、「世界」とは根本的にどういうものかという哲学的問いが生まれない、という経験があります…… ……だれもがそういう体験をする必要がある、などとはもちろん思いません。ただ人間は大きな危機にぶつかるとき、そういうぎりぎりの経験の水際までゆく可能性がある。そのとき、そういう世界経験を深くつかむかどうかは、大きなことだと思います。 ……だから私は、優れた哲学者には、たいてい、青年期の、その人独自の経験があり、彼等は、そこからその発想のエッセンスをすべてつかみたしている、という感じをもっています。優れた哲学者の核心の考えほどそういうコアをもっており、だからその理論は十分追いつめれば追いつめるほど、簡明な原理に集約されてゆくものなのです…… (「T 自分とは何か」より) 『人間の未来』(ちくま新書) ![]() この本のテーマは、第一にヘーゲル論である。とくにヘーゲルの社会哲学と人間哲学のエッセンスを簡明に示すこと。このことでわれわれは、近代社会、近代国家、そして現代国家の本質を把握することができる。そしてつぎに、マルクスの近代国家批判の要諦を、もう一度再確認すること。ここから、われわれは、現在、何を批判し、何を変革の目標とすべきかを、再構築しなければならない。 二年前にわたしは『人間的自由の条件』を上梓して、同じ課題をヘーゲル哲学の解読を軸として試み、ヘーゲル哲学から「近代社会」の核心的原理として「自由の相互承認」の概念を取り出した。そしてこれについて、いくつか重要と思える異議を受けた。「自由の相互承認」の概念は市民社会的概念にすぎず、"ヨーロッパ的普遍性からはみ出るものを排除する、という批判が一つ。もう一つが、この概念は、結局、現在の世界資本主義体制や、アメリカの覇権主義を擁護するものではないか、という異議だ。 はじめの批判については、「市民社会」や「普遍性」の概念への単純な誤認にすぎない。 しかし、あとの疑問には理があると思える。 「自由の相互承認」は、近代社会の基本原理だが、現代資本主義を是認し擁護するものでしかなければ、無意味な概念であろう。『人間的自由の条件』では、たしかにそのような疑念が十分晴れるものとはなっていない。 そこで、この本のねらいは、まず、ヨーロッパ哲学から現われた「市民社会」や「普遍性」の理念が、なぜかくも大きな誤解にさらされているか、そしてつぎに、「市民社会」の原理からは、現代資本主義の矛盾に対してどのような批判の根拠を提示できるか、を明らかにする点にある。 (「はじめに」 より) 『知識ゼロからの哲学入門』(竹田青嗣+現象学研究会・幻冬舎) ![]() ある哲学の考えを、よく追いつめて、 誰にでも理解できる判明な「原理」にまで置き戻そうとする努力は、 少なくとも、哲学を「難解だからこそありがたいのです」と祀り立てるような態度より、 ずっとむずかしいし、またずっと有益であろう。 なぜなら、ある哲学のいちばん芯を、簡明な「原理」として示すことができれば、 難解な哲学も、たしかにそう書かれているかどうか、 かなりの程度たしかめることができるし(そういうものなのだ)、 もしその言い方に不備があったとして、 それをもっとよい言い方に鍛えてゆくことも可能になるからだ。 そして、もっと大事な点は、 なるほどこういう「原理」が書かれているなということが多くの人に理解されたとき、 それはもっと広範に、もっと深い仕方で、 人間の生にとって役立つような「知」になるからである。 (竹田青嗣 まえがき「そもそも『哲学』って何だ?」より) 『フロイト思想を読む-無意識の哲学』(山竹伸二氏との共著・NHKブックス) ![]() 近代になってはじめてわれわれは、 自分たちがそのなかを生きる「社会」が変更可能なものであることを自覚したが、 フロイトは、われわれがそのうちを生きる「エロス的身体」もまた、 変更可能なもの、主体として態度を取りうるものであることを示した。 フロイトは、意識=理性としての人間の「心」ではなく、 むしろ「身体性」としての人間の「心」の理論をはじめて開いたのである。 そこで、われわれとしては、こういった観点からもういちどフロイト思想を再検証してみたい。 われわれは、実証主義的な観点でフロイトの理論を批判するのではなく、 しかし同時に、フロイトの諸仮説をその通りのものとして受け取るのではなく、 いわばこれを現象学的に再解釈しながら、 その理論の本質的な動機や意義を検証しなおすという道をとって進みたいと思う。 (竹田青嗣 第2章「認識対象の本質論」より) 「完全解読ヘーゲル『精神現象学』」(講談社メチエ)
人だれしもが抱く「ほんとうの生き方」への憧れは、 近代において、どのようなかたちをとりうるか。 魂の通じ合いとしての恋愛。 社会変革を目指す革命。 道徳的生き方、芸術と学問による自己表現 − 『精神現象学』は、近代社会における人間の生と社会の在り方の「可能性」を、 深く洞察した希有の書だ。 難解で鳴るヘーゲルの文章を徹底的に解読し、 これまでになく平易かつ明快な言葉で、 思想の新たな可能性を開く。 (未改定稿)一部特別公開 (contents) はじめに 緒論 自己意識より「主奴論」 意識章(西研さんのHPへ) 「僕の 哲学? ノート」加藤典洋 第一部 竹田青嗣「現象学入門」 第二部 茂木健一郎「心を生み出す脳のシステムーー「私」というミステリー」 ![]() 2008年度著作リスト![]() 09年度 朝日カルチャーセンターNHK文化センター町田教室 ![]() (草場書房「洪水」第2号より) 「音楽、生を貫くエロスの穂 陽水について」 (京都日本作業行動研究会大会での講演より) 「実践の原理としての現象学」
椙山女学園講演「哲学する感動―自分を知るための哲学入門」 ポストモダン思想は終わったのか? BOOKアサヒコム
インタビュー近代社会・資本主義再考 >>前編 >>後編 対談:夏目房之介(漫画評論家)×竹田青嗣
![]() ヘーゲル『精神現象学』 |
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