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『本質学研究』 第4号刊行です。


本誌『本質学研究』は、本質学をめぐるさまざまな原理的議論と、諸領域の本質を探究する実践的試みとを通して、「事実学」を超えて「本質学」へという、フッサール現象学の本来の理念の再興を目ざす。したがって本誌は、これからの現象学的探究の一つの指針を示すことを企図しているが、それは同時に、現象学運動の一つの展開形として現われるであろう。
                         (「マニフェスト」より)



完全解読・『言語的思考へ』 

※磯部和子氏(現象学研究会)による『言語的思考へ』(2001径書房)のレジュメです



「新憲法研究会」のご案内です。(2017.2.26更新)

「新憲法研究会について」
「新憲法研究会」案内
参考資料1
参考資料2


2016年7月30日淑徳大学講座でのレジュメです
特別公開レジュメ「現象学・存在論・欲望論V ー哲学の現在的地平

欲望論インタビュー
A実存論・第2部「欲望と身体」第3部「幻想的身体」への構想(2016/5/15)

@実存論・第1部「存在と認識の方法」をめぐって(2015/2/22)


エッセイ(2014/4/2)

「正しさから見放される体験」(追悼・吉本隆明)

「政治の道と文学の道」
(『在日という根拠』韓国版まえがきより)



『哲学書で読む最強の哲学入門』<2013.9 学研>



※竹田監修のもと、現象学研究会メンバーで執筆しました。哲学史のビッグネーム50人を取り上げ、代表著作を通してその思想の核心に迫ります。巻末には各思想家のキーワードを「哲学小辞典」としてまとめました。

『哲学がわかる本』<2013.2学研>



※上掲書の「コンパクト版」。各哲学者の思想の要諦を端的にまとめています。




『歴史と哲学の対話』〈西研氏・本郷和人氏との共著〉講談社


近代以前の社会(民族、国家)では、その歴史は、つねに自国の秩序、つまり支配、利益、文化の保持という公準をもっている。だから宗教の教義が民族によって違うように、その「歴史」(共同的アイデンティティー)はみな違わざるを得ない。しかし、近代社会以降歴史の新しい公準が現れた、というのが私の考えです。それは、諸国家の共存と相互承認ということです。そしてそれが、人間的な「自由」の進展の帰結です。
人間社会がどこへ向かうべきかについての大きな合意が人間の間でもし成立するなら、歴史解釈の大きな公準の合意ということも成立する。絶対的に正しい歴史解釈というものは存在しえないけれど、何が「よい」あるいは「より重要な」歴史解釈かについての合意は存在しうる。その条件は二つあって、一つは歴史の実証的事実がより確実に確定されてゆくこと。それは共通の歴史解釈のための土台になる。もう一つは、人間と諸国家の相互承認という近代の根本理念です。もしこれが認められなければ、歴史解釈というものは、宗教教義と同じで、千の民族に千の歴史がある、というほかにはない。そういうわけで、そもそも近代歴史学は、まさしく実証的であるということが命脈である側面と、その基礎の上に立って、それぞれの民族や国家の相互承認が可能となるような歴史解釈を形成してゆくという理念をもっているはずです。
(本文より)


『知識ゼロからのニーチェ入門』〈西研氏、藤野美奈子氏との共著〉幻冬舎



哲学者の西研さんとはすでに多く共著があるが、今回は、マンガ家の藤野美奈子さんと三人のコラボとなった。
西さんの永遠回帰論と超人論は、TV放送でも話題を呼んだが、明快かつ鮮やか、現代人の心の処方箋になると思う。藤野マンガも、西・竹田のニーチェ解釈の単なる「絵物語」ではなく、独自のニーチェ解釈を出している。恋愛の絶望と哲学との格闘によって鍛え直された永遠回帰。なるほど、と納得する。それぞれが自分のニーチェにもういちど向き合えた気がする。西洋哲学の根本テーマは、「神」、世界の「存在」、「真理」をめぐっていた。ニーチェは、これを完全に「人間」におきかえた。つまり哲学は、彼以降はじめて、「超越的なもの」を離れて、人間の生についての徹底的な思考になった。そこがニーチェ哲学の神髄だ。読みなおすたびに、その思考のすごさに感服する。二十一世紀の哲学は、もういちどニーチェから再始発できるか。いま、そのことを考え中である。
(本書「あとがき」より)


「超解読! はじめてのフッサール『現象学の理念』」(講談社現代新書)



……現象学の思考は、つぎのように考える。全知”は存在しえないし、客観的認識も「真理」も原理的に存在しない。しかし「妥当な認識」「普遍的な認識」は存在しうるし、そこに達する思考の方法も存在する、と。
「主観―客観」の認識論は、真理や客観認識を、世界の背後に匿されているものを発見するという表象で考える。現象学的な「内在―超越」の認識論は、一切を「世界確信」とみなし、「普遍的認識」とは、いかにそれぞれの異なった「確信」から、共通の(間主観的な)「確信」を創出してゆくか、という仕方で思考する。このとき、「真理」や「客観認識」という概念が、本質的に刷新されていることを人は理解しないだろうか。
(本書「現象学的還元と確信成立の条件―あとがきにかえて」より)




こちらは 完全解読 フッサール『現象学の理念』(講談社メチエ)です……




フッサールの現象学は、近代の学問が人間の意味と価値を問う方法に挫折したとき、これを立て直す新しい哲学の方法として登場した。しかし、「認識の謎」を解明し、意味と価値の本質学として提出された現象学の根本方法は、……まずフッサールの直系の弟子たちによる誤読にはじまり、つぎにその「存在論的形而上学」という自己理解を受け取った批判者たちによって、ある場合は厳密な客観認識の基礎づけの方法として、またある場合には形而上学観念論として強い批判を受けたまま現在にいたっている。
われわれはこの誤解に満ちたフッサール現象学の像を立て直さなければならない。それは一切の「認識」を「世界確信」としてとらえる根本的に新しい視点変更によって現代の認識論的挫折を乗り越え、人間的な「本質学」の新しい方法的基礎となりうるものだ。フッサール現象学の根本的意義は、ここまで、まだ一度もその本義を露わにしていないのである。
(「あとがきにかえて―現象学の再興」より)




「超解読!はじめてのカント『純粋理性批判』」(講談社現代新書)




近代哲学が形而上学であり、いまや無用の長物であるといった現代の批判は、ながく哲学とつきあってきたわたしからは、ありえない誤解あるいは無理解にすぎない。カントの理説をほんとうに理解したものは、これまでの現代思想、現代科学の諸理論、その対立、イデオロギー性、混乱を、まったく新しい観点で眺めるようになるだろう。
そして、新しい人間の問題の扉が開かれるはずである。

(まえがき より)


 「竹田教授の哲学講座21講」(みやび出版)




……この本の発端は、わたしが早稲田大学に移ってきて間もない四年ほど前のこと、みやび出版の伊藤さんが研究室にやってきて、ふつうの人に分かる言葉で哲学の大事なエッセンスを、といって強くすすめてくれて始めた連載エッセイである。ちょうど院生や社会人の仲間と、哲学者を一人ずつ取り上げてミニレクチャーと質問という形で英語哲学講義をはじめていたので、その中味を反映できそうだとと思って引き受けた。応答形式になっているのはそのためである。
以後連載を延々と三年以上つづけてようやく本になることになった。連載時のものに大幅に手を加えてある。伊藤さんの熱意で思わぬ形の本になり、ありがたく思っている。
(あとがき より)



「完全解読 カント『純粋理性批判』」(講談社メチエ)




本書は「完全解読ヘーゲル『精神現象学』」に続く完全解読シリーズの二冊目にあたる。……
これまで哲学に近づかなかった一般の読者に、もっと身近な仕方で哲学の扉を開いてもらいたいということ。そして、哲学に対してやや壁を感じていた若い世代に、新しい時代を拓くための大きな武器としてこれを利用してもらいたいということ、この二つが著者の望みである。

いま、近代の社会の功罪は明瞭である、それははじめて人間に広範な自由を与えたが、同時に万人を、そして人間の生活の一切を、欲望競争の不合理な渦の中に巻き込んでいる。マルクス主義やポストモダン主義は、これに対抗しようとする大きな思想の潮流だったが、いまやその限界効用に達してしまった。
人間と社会について根本的に新しい展望と構想が拓かれるべき時代が来ているのだ。そしてその課題を引き受けるのはつねに新しい世代である。さまざまな古い叡智とともに、近代についての基本構想として現われた西洋哲学再理解が、いまなによりも重要なものとなっている。カントから始めよう、とわたしは言いたい。
(「はじめに」より)



完全解読、記念すべき第1弾
「完全解読ヘーゲル『精神現象学』」(講談社メチエ)



人だれしもが抱く「ほんとうの生き方」への憧れは、
近代において、どのようなかたちをとりうるか。
魂の通じ合いとしての恋愛。
社会変革を目指す革命。
道徳的生き方、芸術と学問による自己表現 
− 『精神現象学』は、近代社会における人間の生と社会の在り方の「可能性」を、
深く洞察した希有の書だ。
難解で鳴るヘーゲルの文章を徹底的に解読し、
これまでになく平易かつ明快な言葉で、
思想の新たな可能性を開く



「超解読!はじめてのヘーゲル『精神現象学』



すでに2007年に、われわれ(以下西・竹田のこと)は、『完全解読ヘーゲル『精神現象学』』(講談社メチエ)を出した。(2010年には『完全解読カント『純粋理性批判』』)。超難解で鳴る主要な哲学書を一般の読者が理解できるように徹底的に解読する、というのが趣旨だったが、この完全解読シリーズでさえ、なお難渋という声を多く聞いた。哲学の貴重な富を一般の人びとに知ってもらいたい、というのはわれわれの長年の思いだったので、ふたりで相談の結果、では、もういちどさらに徹底的に読み砕こうということになった。これがその「超解読シリーズ」の第一弾である。
「完全解読」と「超解読」の棲み分けは、前者は、もちろん好学の士にはそれ自体でも読み進められるが、原テクスト(独文・訳文)の解読のためのリファレンスとしても利用できると思う。後者は、ほとんど予備知識なしでも『精神現象学』の独自のストーリーを追えるように、と配慮している。
(「あとがき」より)



「人間的自由の条件」、文庫化(講談社学術文庫)されました。



近代は、
人間がはじめて「自由」な精神の国へ向かって歩み出した歴史的始発点であったが、
それはまだ長い道程の端緒についたばかりだといわねばならない。

  もしわれわれが、
「近代社会」を人間の創造的活動の多様な承認ゲームへと推し進めることができるなら、
人間精神はその無限の本質を
いっそう豊かに発現してゆくにちがいない。
(本文より)


「恋愛論」、文庫化されました(ちくま学芸文庫)




「『精神現象学』完全解読」
(未改定稿)一部特別公開


(contents)
はじめに
緒論
自己意識より「主奴論」

意識章(西研さんのHPへ)


「僕の
 哲学? ノート」加藤典洋

第一部
竹田青嗣「現象学入門」

第二部
茂木健一郎「心を生み出す脳のシステムーー「私」というミステリー






 竹田青嗣の不定期エッセイ

 管理人日記(近況)



 2008年度著作リスト






(草場書房「洪水」第2号より)
「音楽、生を貫くエロスの穂 陽水について」


(京都日本作業行動研究会大会での講演より)

「実践の原理としての現象学」


椙山女学園講演
「哲学する感動―自分を知るための哲学入門」

 ポストモダン思想は終わったのか?

 BOOKアサヒコム インタビュー
近代社会・資本主義再考  >>前編 >>後編

 対談:夏目房之介(漫画評論家)×竹田青嗣



 ヘーゲル『精神現象学』

カント『純粋理性批判』

  information


2017年「欲望論」連続講義 予定

20176月24日()15:30〜18:30 NHK文化センター青山教室で、講座「現代哲学の最前線 X 存在論・言語論・欲望論」が開かれます


『完全解読「現象学の理念」』英語版
《Complete decoding of “The Idea of Phenomenology”English version》


 
『現象学再興』(「完全解読あとがき」)英語版
《'The restoration of phenomenology' (Post script of complete decoding) English version》



 IHSRC(国際人間科学学会)でのプレゼンテーション「An Attempt of Complete Decoding of The idea of phenomenology ”」の動画です。

上記プレゼンの日本語バージョン、「『現象学の理念』完全解読の試み」(NHK文化センター講義より)の動画もUPしました。

日本文学協会での発表「批評のテーブルと事そのもの」
 講座報告:「現象学的心理学の可能性」

「看護に生かす現象学の知」(講演「看護実践と現象学」より)

講座報告「炭素革命と世界市民の正義」(現研HPより)


インタビュー「音楽、生を貫くエロスの穂 陽水について」(『洪水」第二号洪水企画 草場書房)


 →社会の教科書(西研ホームページより)